常楽寺について
常楽寺は
浄土宗西山禅林寺派の寺院で、本山は京都 永観堂禅林寺です。
- 宗祖 法然上人(源空)
- 派祖 西山上人(證空または証空)
- 本尊 阿弥陀仏
- 称名 南無阿弥陀仏
- 経典 浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)
常楽寺の由来
この寺の由来は、正慶2年(1333年)2月、播磨守である赤松則村が兵をあげ、摂津の摩耶山に陣を敷いたとき、武運長久のため普段帰依していた僧の教神明徹上人(後に本山洛西報国山光明寺第13世となる)に命じて、中西村に法性山常楽寺を造らせ祈願させ、その後寺領を寄付した。
これが始まりである。
ところが、嘉吉の乱によって、赤松氏が衰退しこの寺も衰えていった。しかし、その後赤松氏の支族で、神吉の庄の領主となった神吉城主の歴代の菩提寺となってからは再び盛んとなった。
天正6年(1578年)7月、神吉城主神吉民部大輔頼定が、織田信忠の軍によって滅ぼされたが、その戦いの中、常楽寺も兵火に会い諸堂はことごとく焼失した。
この時の住職である性春上人は神吉候の亡き骸を神吉城跡に埋め、その側に御堂を建て冥福を祈った。これが現在地にある常楽寺の初めである。
慶長18年(1613年)11月、姫路城主池田三左衛門輝政公が寺領を寄付したことが、その家臣射場伊友軒の署名のついた折紙に書いてある。また、慶安元年8月(1648年)17日、三代将軍徳川家光公より、寺領許状(18石4斗分)の御朱印を賜う。 明治維新によってこの寺領は国家のものとなり官有地となった。
登録有形文化財
平成19年に、文化庁より本堂・薬師堂・山門・鐘楼堂が登録有形文化財に指定されました。
本堂
元禄5年(1692年)に建立され、木造平屋建て入母屋造りで本瓦葺き、本尊は阿弥陀如来で左右には観音菩薩、勢至菩薩を従えています。
本堂の右脇陣には、善導大師・西山国師・歴代住職の位牌、本堂の左脇陣には、法然上人・観音菩薩・徳川家歴代の位牌を安置しています。
薬師堂
明和7年(1770年)建立、木造平屋建て方形、銅板葺き
山門
文久2年(1862年)建立、木造平屋建て切り妻造り、本瓦葺き
鐘楼堂
宝暦4年(1754年)建立、木造平屋建て切り妻造り、本瓦葺き